木曜日, 3月 08, 2007
■アマテルカミと東北多賀城・・・ホツマより
古代東北がいかにすばらしいところであったか、
池田満著「ホツマ縄文日本のたから」展望社より引用
アマテルカミは、生まれてから十六年の間、富士山麓のハラミの宮で暮らすことになります。
十六年の年月が経って、青年に達したアマテルカミに遊学の話が舞い込んできます。
イサナミの父トヨケから、アマテルカミに王道教育をほどこすために、東北への留学の迎えがやってくるのです。到着した車は、飾りをふんだんにつけた(テクルマ)で、夢で見た通りのものでした。(テクルマ)から降り立ったのはイサナミノ父トヨケでした。トヨケみずからのわざわざ東北から出迎えに、イサナギもイサナミも感激しました。
トヨケ(五代タカミムスビ)はそもそもアマテルカミの誕生に、悲願をかけていた人でした。安定した国勢の維持には、すぐれた世継ぎが必要と考えました。トヨケは世継ぎ社を建てて、ここに籠もってミソギをしてアメミオヤ(全宇宙の絶対神)に祈りました。トヨケのミソギは八千回にも及びました。その甲斐あってアマテルカミが誕生したわけです。でも、いくら生まれが良くても教育は積まねばなりません。トヨケは(テクルマ)を造ってアマテルカミを迎えにはるばるやって来ました。
トヨケみずからの出迎えに感激したイサナギをイサナミは、東北までアマテルカミを送っていきました。
今の仙台から北東へ約十キロメートルほどの多賀城にま新しい宮が建てられていました。アマテルカミはこのアマツの宮にて勉学することになりました。
アマテルカミには従兄弟のタカギ(七代タカミムスビ)が学友としてつきそいます。そしてアマテルカミとタカギは机を並べてトヨケ(五代タカミムスビ)の講義を受けます。トヨケの講義は森羅万象にわたり、特に王道については奥深いものとなりました。
トヨケがアマテルカミに授けた王道のなかで、その基調をなすものに宇宙観があります。この宇宙観は、世界観とも言いかえることもできる内容です。人間と世界との関係、人間と宇宙との関係、そして宇宙のなりたち、人間のなりたちなどがその内容です。とりわけ人間の生前・死後についての捉え方は、人の
幸福を考える上で重要な宗となります。
アマテルカミが心の大切さを悟ったのは、青年時代を過ごした東北の黄金花咲くアマツノ宮でした。
以上
*これが、東北は「みちのく」と言われるのは、本当はこのように、道の奥義を授ける場所からこそ「みちのく」と呼ばれたのであることを示す部分です。
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