日曜日, 1月 28, 2007
■冬の錦木塚
冬の「錦木塚」の写真です。
いつもの冬は、雪が悲恋の二人をすっぽりと覆っているのですが、
これでは目覚めるくらいの雪の量ですねエ!!
錦木塚(にしきぎつか)
小公園にある比翼塚。“錦木”とは、昔男女の恋文の役目を果たした
当地方の風習で京にまで知られていた。錦木は五色に彩った一尺ば
かりの木枝を束ねたもので、これを恋する人の家の門口に立て、相手
がこれを受け取れば、その愛を受け入れることになり、受け取らなけれ
ば愛に応じないことを意味し、千束まで重ねることが許されていた。
昔、この辺りを治める豪族の娘に、錦木売りの若者が一目惚れして錦
木をそっと置いた。しかし身分の違いから、娘は親に反対されこれに応
えられず、錦木が空しく重ねられて若者は嘆きのうちにこの世を去った。
これを聞いた娘も自らの命を絶ったため、哀れんだ親が塚を造って二人
を葬ったという。
これが錦木塚で、歌枕として多くのの歌に詠まれるほか、世阿弥によ
って謡曲“錦木”になった。
「人しれぬ心にたてつる錦木の 朽ぬる色や袖にみゆらん」大納言隆房
妻の両親の実家がこの錦木塚からほんの20mの位置にあります。
義父が元気な時は、毎朝錦木塚を含む公園を掃除しておりました。
私も時々は泊まっているのですが、20mの距離ですので、塚を枕に
しているようなものです。
朝は散歩していましたが、せいぜい拝む程度でした。
ところが最近妙に気になりだしているのです。
大湯のストーンサークルと一連の中にですが、
この「錦木塚」が謡曲の一つになったり、歌枕として都人に何故に
詠まれ続けてきたのだろうか。
ここの歌枕の錦木として考えられていたものは、上記のように五本
束ねたものや、一尺ばかりの太い短いバケモノみたいな想像的なもの
を民俗学の大学者が説いていますが、はたしてそんなものなのか。
また、こんな秘境の地で千日も通うことが・・恋の道ですから分かりま
せんが・・・。どうももっと深い意味があるように思います。
なにしろ、ストーンサークルがあって、民話の里なのですから、
さらに追求してみたいと思っています。
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