火曜日, 1月 30, 2007

■HP「こざくらの丘」イメージ図・・・HPとブログ





















私のホームページ「こざくらの丘」の全体構成のイメージ図です。
アールデコと八咫(やた)の原理の組み合わせデザインです。
これはデジ写真からpicasaで編集してホームページトップに
のせたものです。





















こちらは、スキャナーで取得したものです。

どちらも同じに見えます。そしてこのようにブログでは双方が公開できます。

しかし、スキャナー版はホームページでは公開できません。
(ワードアートを組み入れた場合は完全にダメのようです)
なにかがあるのでしょうが、わかりません。
ホームページはホームページビルダーを利用しています。


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日曜日, 1月 28, 2007

■冬の錦木塚











冬の「錦木塚」の写真です。
いつもの冬は、雪が悲恋の二人をすっぽりと覆っているのですが、
これでは目覚めるくらいの雪の量ですねエ!!

錦木塚(にしきぎつか)
 小公園にある比翼塚。“錦木”とは、昔男女の恋文の役目を果たした
当地方の風習で京にまで知られていた。錦木は五色に彩った一尺ば
かりの木枝を束ねたもので、これを恋する人の家の門口に立て、相手
がこれを受け取れば、その愛を受け入れることになり、受け取らなけれ
ば愛に応じないことを意味し、千束まで重ねることが許されていた。
 昔、この辺りを治める豪族の娘に、錦木売りの若者が一目惚れして錦
木をそっと置いた。しかし身分の違いから、娘は親に反対されこれに応
えられず、錦木が空しく重ねられて若者は嘆きのうちにこの世を去った。
これを聞いた娘も自らの命を絶ったため、哀れんだ親が塚を造って二人
を葬ったという。
 これが錦木塚で、歌枕として多くのの歌に詠まれるほか、世阿弥によ
って謡曲“錦木”になった。
「人しれぬ心にたてつる錦木の 朽ぬる色や袖にみゆらん」大納言隆房

妻の両親の実家がこの錦木塚からほんの20mの位置にあります。
義父が元気な時は、毎朝錦木塚を含む公園を掃除しておりました。
私も時々は泊まっているのですが、20mの距離ですので、塚を枕に
しているようなものです。
朝は散歩していましたが、せいぜい拝む程度でした。

ところが最近妙に気になりだしているのです。
大湯のストーンサークルと一連の中にですが、

この「錦木塚」が謡曲の一つになったり、歌枕として都人に何故に
詠まれ続けてきたのだろうか。
ここの歌枕の錦木として考えられていたものは、上記のように五本
束ねたものや、一尺ばかりの太い短いバケモノみたいな想像的なもの
を民俗学の大学者が説いていますが、はたしてそんなものなのか。

また、こんな秘境の地で千日も通うことが・・恋の道ですから分かりま
せんが・・・。どうももっと深い意味があるように思います。
なにしろ、ストーンサークルがあって、民話の里なのですから、
さらに追求してみたいと思っています。

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■ウラ山にカモシカ定住?・・・・こざくらの丘に!!




















高清水一角にある、「こざくらの丘」は都市の真ん中にありますが、
見晴らしの良い公園であり、風致地区でもあります。
ぽかぽか「こざくらの丘」の拠点である我が家には、
タヌキやカモシカがときどき訪れます。
ときどきといっても、さすがにカモシカは年に二回程度でした。
タヌキさんは夜中に歩き回っていますので回数は数え切れていません!!

1/28に裏山の雑木林に何か気配がするので行ってみましたら、
なんとカモシカが2頭そろっていました。
私の姿を見てからは2頭で追いかけっこして見えなくなりました。
今までは
①姿が見えるのは一頭。
②年に二回程度、庭を横切るだけ。

それが、先日も裏山で見たのに、今日も、しかも二頭でした!!
住み着いたのでしょうか。
ホームページで・・・ぽかぽか「こざくらの丘」・・・を立ち上げたのを
祝ってかけつけてくれているかのようです。

写真は、あとでカメラを持って行ったら、一頭だけでしたが、ごらんの
とおりの「カメラ ポーズ」をとってくれました。
お友達になりましょう!!

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■松食い虫にめげず実生が・・・・赤松の苗が一杯























秋田県は松食い虫のおかげで、松が全滅の危機です。
海岸林は県の南部から北部の能代市まできてます。
県内は内陸部もかなりやられております。

「こざくらの丘」は秋田市ですから沿岸中央部です。裏山も写真上部の
ように、松食い虫にやられました。この高清水地区でも残っているのは
ホンの数える程度となっています。
赤松も黒松も同じです。
ただし庭木の手入れしている松は大丈夫だようです。

さて、写真の裏山には松がいっぱいありました。その下がガケ地となって
おりました。崩れがあった(こども達がガケ登りで遊んだ結果でした)10年
ほど前に、のり面を防護のために植生(ワラ張り)をしています。
そのせいなのでしょうか、成木がどんどん枯れていくのに、このガケ地
だけに一杯の実生の松苗がいっぱい生えてきました。
約200本ほどでしょうか。

植生の土壌改良が良かったのでしょうか、ここだけに生えてきたのです。
当地域では貴重な松苗となりました。
このままがいいのか、植え替えたらいいのか??

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■七生の舞・・・・・平田篤胤





















         七生の舞図

ストーンサークルの謎を追いかけていると。ホツマが一つのカギだと思
っています。
ホツマのフトマニ図(宇宙創生に活躍された四十八音の神々が整然と
鎮座している図)や、ストーンサークルの宇宙原理(地上母胎としての
円と立石が「天の御柱」)がキーワードだと考えられます。

このように考えているとき、目に飛び込んできたのが「七生の舞図」で
あり本文の下記引用文です。

平成16年5月23日発行の平凡社版、別冊太陽「平田篤胤」号に平田
神社米田宮司と作家の
荒俣宏の対談を中心に宗家秘蔵の未公開資
料が写真版を含め多数収録されている。内容は篤胤の神道思想から
幽冥論・神仙研究・民俗研究・医道論・書簡日記にも及び、中でも宣
長との「夢中対面図」をはじめ、「高根神の尊図」仙境異聞の中で寅
吉から異界の模様を聞き糺し、仙境の模様を精密に筆写描写して絵
図に描いた「七生舞の記」や「仙境図」・「霊宝五嶽真形図」などの他
「稲生平太郎物語」や「おのころ島の図」「氣吹舎日記」などの貴重な
資料集を写真公開している。

「七生舞の記」の記録は、寅吉の物語る幽境の舞についての模様を
篤胤が詳細に論じたもので、七生舞は御柱の舞(おはしらのまい)と
も称され、楽器は短笛五管 一丈の笛 九尺の笛 各々一管 りんの
琴一挺 かりょうの笛五管 浮鉦二つ 此の六品にて唱歌は五十音
を、聲を長く引きて唱ふるなり。
りんの琴 舞人は五十音に合わせて五十人なり。此の舞楽は天神地
祇の大きに歓びたまふ楽にして此れを行ふ時は感応あり。それに替
わりて妖魔のたぐひは殊の外に忌み嫌ふ舞楽なり。舞人50人・楽人
24人合計74名の異境人が参列し神々に奏上報告をなす祭典なり。
此の詳細な検証や図解については数年前に平田神社宗家の資料
提供により、集英社版の文庫「荒俣宏コレクション」の中に公開されて
いる。新玉の春の余碁登「初春に 五十連音の風韻 縹渺と轟き亘り 
諸国山川草木 穏やかに 四海の波も静まりぬ 其の奇しき調べぞ 
神代より伝え来る 七生の舞」。寅吉は、此の舞楽は、神祇をなぐさめ
て感応を蒙らむと欲する時か、または山人たちの住する山々の、妖気
を祓い浄むる時などに行うもので崇高な祭典の一つであると篤胤に語
ったと記述されている。

平田篤胤 - Wikipedia

今後、平田篤胤全集の中から、「仙境異聞」そのなかで「七生舞の記」
を現代語に翻訳し、さらに「太陽」の資料を加えた資料作成したいと考
えております。
いつか、どなたかが「七生の舞」を再現してくださることを念願いたします。

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木曜日, 1月 25, 2007

■「悟り」「無」とは・・・・・「原因の世界・結果の世界」

















船井幸雄さんの「にんげん」から引用です

いまのところにんげんのレベルが低いため、私たちは生まれてくるときに
人生の90%以上もの生涯のありかたを決めてくるようです。
まだ地球人はあまりに無知なので、どうしても行動に制約を加えなければ
ならないからだと思います。
しかし、何千年も前から非物質界のこと、すなわち「原因の世界」と私が
言っている世界のことなどを探求し、知り、それを多くの人々に伝えよう
としてきた人たちがいました。
それはほんの一握りの人でしたが、体外離脱などができ、「原因の世界」
などこの世以外を知っていた人たちです。

いわゆる「悟り」とか「無」の境地というのは、意識が肉体の制約を受けない
状態の境地だと考えられます。
これは現世利益的に言えば「原因の世界」にも行ける方法であり、
この世、いわゆる「結果の世界」をよい方に変える方法の一つだといえます。

以上です。
上図のように、「原因の世界」とは「この世」であり、したがって「見える世界」
ですね。
「結果の世界」とは「あの世」であり、したがって「見えない世界」ですね。
世の中のしくみは、パラレルワールドですから
この二つの世界が現実にあること自体を認めることからスタートですね。

さて、わが坐禅の「悟り」とどう結びつけましょうか。


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■感動の[とろとろ親子丼]の秘密・・・・秋田比内や





秋田比内やさんの「とろとろ親子丼」
器は天然秋田杉の「大館曲げわっぱ」



秋田県大館市の「秋田比内やさん」の「とろとろ親子丼」は天下一品です!!
都会からもお客さんが訪れ大評判です。

材料は三大地鶏の一つ、比内地鶏の肉とその卵だけです。
備長炭で少し炙った肉を使います。
タマネギなど卵以外の材料は使っていません。
最初の頃は彩のミツバも使っていませんでした。
このとろとろ感が何ともいえません。

三回の感動を味わえます!!
①出てきたとき、蓋を開ける瞬間の感動!!
②一口食べてそのうまさに感動!!
③食べきった後の「幸福感」で感動!!

この感動の理由が昨夜のNHKテレビ「ためしてガッテン」でわかりました。













「究極のカツ丼」でした。
カツ丼を食べるときのイメージは皆さんが「幸福感」と答えています。
まずは、カツと卵の一体感により夢中で集中して食べること
卵のとろとろ感がもたらすことにあるようです。
卵は、あまりかき混ぜない、ほんの少し混ぜるだけ
煮る時間も表面が白くなる時間だけ。

これで食べると脳波が「ランナーズハイ」のときと同じになる
だから「幸福感」が得られるのだそうです。
















これで意味が分かりました。
TVの結論は、カツ丼を食べて「カツ丼 一杯」!!
でしたが、親子丼でも同じだと思います。

当地域では、「親子丼での地域おこし」を図っております。

秋田比内やさんとともに地域全体が比内地鶏を使った
比内地鶏の親子丼 とろとろ親子丼!!
親子丼 ハイ幸福 一杯」運動を起こそう!!

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水曜日, 1月 17, 2007

■巡堂工房から:「おあげんせ」・・花巻空港ビル さん

















■岩手花巻空港ビルさんでは、一階フロアーでの焼きたてのパンやふっくらおにぎ
 りを販売しております。
 情報を教えていただいたあと、空港のワゴン(屋台)を見学してきました。
 地場の木材でつくってあり、なかなか風情がありました。看板があった方が雰囲気
 づくりにさらによいのではと、案内してくださった課長さんに、「よろしかったら私は
 看板も彫りますから」とお話してきました。

■久保社長さん以下で決まったワゴンの名前が「おあげんせ」だそうです。
 岩手のことばで「おあがりなさい」だそうです。やさしいことばですね!!

■①ことばが「おあげんせ」と決まりましたので
②書は女性的な書ということで、川原石光さんの行書体から選びました。
③木の材料は、長さと雰囲気から青森ヒバとしました。
   ・寸法:1,150*300*40mm  塗装:文字漆仕上げ 
                        表面植物性オイル仕上げ

■したがいまして、できあがった作品は
   ・青森ヒバですから青森県
   ・彫った刻字職人は秋田県の大館能代空港ビルですから秋田県
   ・設置のワゴンは岩手花巻空港ビルですから岩手県

   北東北3県の合作としてできあがりました、3県の親睦と活性化のお役に
   たてれば本望です。
   飾っていただいてありがとうございます。


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■巡堂工房からの贈り物・・・・手彫りのゆらぎ刻字




















jundo/kokuji/

■巡堂工房は刻字作品をつくっております。
 
手彫りの刻字(板に文字を彫るもの)です。書は自分のものではありません、なぜなら
100年も無垢材にに彫るにはそれにふさわしい書が求められます。
世界に卓越した書を探します。

・言葉は、贈呈する人の座右の銘などを選んでいただきます。
 
・木(板)は、言葉や書にふさわしいものを選びます。ケヤキ、サクラ、クリ、ヒバ等々

    
・刻字職人としては、それらの調和をもとめるために、修業が必要です。

・手彫りは、「1/f ゆらぎ」の味わい深い作品となります。


■刻字職人となって、12年目となります。石の上にも3年・・・・・5年、10年でやっと
 一人前になったのか なと・・・。
 作品は、小さい物は表札程度の物から、大きいものはお店の看板やお寺の扁額、
 置物まで。
作品数は約1,000作品くらいです。

■巡堂刻字作品を、作品の解説つきで順次ご紹介いたします。

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水曜日, 1月 10, 2007

■人はなぜ行動できないのか(3) 人間の構造

jundo/hado/4

■ひきつづき倫理研究所法人局=丸山敏雄全集より
「新しくなるというのは、別のものが加わったのでもなく、もとのまま、本性、本質が
そのまま現れ出たのです。もともと無いものは、顕れようがなく、顕れたものは、
もともとあったものです。」

■エハン・デラヴィの「太陽の暗号」の最後に
「その時まで想像できるかぎりの最悪なシナリオを通りながら、我々はきっと生き抜く
はずだ。我々は謙虚になるまで浄化されるしかない。最後に残るのは、これらすべ
てから解放されて自由になることしか残らない。その自由な存在となったところから
本当の人類は始まるのだろう。」

■これを図解したのが上図です。
人間の構造は、肉体のからだの他に「こころ」と「命=霊性」があります。
こころには「鉱物のこころ、植物のこころ、動物のこころ」「人間のこころ」があります。
その上に「理性のこころ」があります。

もっともっと深いところに「命とも霊性」ともいわれるこころがあります。
霊性は生まれたとき、大いなるいのち(神・仏)からいただいて来ております。
だから、赤ちゃんは純粋なのです。
特に3才までは神様と同じようにみえますが、
親の姿をみて、テレビをみて、世間をみて、だんだんと勉強するほどに
純粋なこころが曇っていくのだそうです。
社会生活をした大人のこころは完全に曇っております。

■その曇ったこころを出来るだけ、生まれたままの「純粋なこころ」に帰ろうというのが
修業なのです。
修業の方法はいろいろあります。瞑想、坐禅、ヨーガ・・・・。
小さな感動の繰り返しだけでもいいという人もおります。

■「純粋なこころ」の「本性、本質」とは「もう一人の自分」ともいいます。
本当の自分探しとはこのことなのですが・・・・。

■曇ったこころを少なくしていくとどうなるのでしょうか、
それは「直感」が働くことです。
いつも思っていると「ハッと」気づくことがあります。
ノーベル賞の学者はほとんどこの直感で核心のヒントを得ているそうです。

感動するだけでもいいのなら、野の花、風、雪・・・・何にでも小さな感動を
繰り返しましょうよ!!

今日は一日、窓の外の吹雪を見ながら「これもきれいなものだなあ!!」と
感動しながら書きました。
書ききった幸せにも感動しております。
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■人はなぜ行動できないのか(2) 今の自分でいい

jundo/hado/3

■一生懸命学んでいるのに、なぜ変わらないのか、なぜ実践しないのか
社団法人倫理研究所法人局489号から引用します。
実践しないのは、心の深いところで「今の自分でいい」と思っているからだ。
「変化、変化」と口で唱えながらも変わることを恐れている自分を見抜かない限り
本当の自己革新は実現しない。
犯人捜しで外を睨みつけ、救い主を求めてアタフタと走り回る態度を捨てよ、
180度視点を変えたところに「新」の本当の意味がある。
と述べています。


■変わることを恐れている、そのこころをどうしようか、どこに求めればいいのか。

■昔の人は言いました、青い鳥を求めて世界を巡ったが、青い鳥は足下にいた。
また、春を探しに野山に出かけたが春は見つからなかった、すごすご引き返したら
春は我が家のに庭木の先にあった、という漢詩もあります。

■心の奥底の「今の自分でいい」  これがあるかぎり下腹の丹田で納得することも
出来ません。

青い鳥を探すにはどうしたらいいのでしょうか。(次回)


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■人はなぜ行動できないのか(1-2) 共鳴するかどうか

jundo/hado/2

■心が感ずるかどうかは、心が共鳴するかどうかです。
波動の原理では
   ・同じようなものは共鳴し
   ・異なるものは反発する
ですから、
あなたのレベルはどれですか
   ・第一のエゴですか
   ・第二の損得のレベルですか・・・・・・・・この辺が多いのですね!!

   ・第三,四レベルの感謝しプラス発想できるところまでいきたいものです

日本創世を目指している倫理法人会の方々は、第三、四レベルの方々です。
未加入の、あの人も倫理法人会で勉強すればなあ!! いい人生をおくれて、
事業もさらにうまくいくのになあ!
と思われる人が多くいますが、なかなかこちらの方向を向きません。

その人はだいたいが第一、二レベルあたりにいるのです。
「オレだけが!!」「金が全てだ!!」「損か得か!!」・・・・・・
この人たちの方向は上図のとおり、地獄への方向なのですが、気がつかないのです。
したがって、波動の原理から(同じものは共鳴し、異なるものは反発する)
第三、四レベルの人の話とは共鳴しないのです、反発だけですね!!
残念ですがこちらは、極楽 とは逆の方向なのですね。

■でも、地獄には行きたくないですよね、極楽行きの方がいいですよね。
極楽の方向は、こちらではない、全く逆なのだと早く気がつけばいいのですが!!
マスコミに踊らされて、グルメだ、セレブだ、株だ!!と騒いでいるだけでは・・・。

どうでしょうか、「感ずる、気づく」人は、やはり少ないのでしょうか!!


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■人はなぜ行動できないのか(1) 感じない人

jundo/hado/1
■人はなぜ行動できないのでしょうか、上の図解をごらんください。

人が物事を感じてから行動するまでを端的に表したのがあいだみつをさんの上の詩です。
「感動とは感じて動くと書くんだなあ」
さすがは日本人の心の奥に訴えて、最も日本人に好まれているお方だと思います。

「感動とは感じて動く」のとおり、人は感じなければ動きません。
感動する、感ずる心があるかないかですね。

感ずる心、気づく心はアタマの中、脳の中のことです。
なぜ、感ずるか感じないか、
波動の問題ですね。共鳴するかどうかです。
(この図解は次回)

■アタマで感じたとしても(気づいても)、アタマだけでは理解した段階です。
行動までいくには、ハラで感ずる必要があります。
ハラで感じた場合が納得した段階です。
ハラとはヘソ下三寸にある「臍下丹田せいかたんでん」のことです。
体の重心であり、神経のまとまりの場所である太陽神経叢があるところ、そこが丹田です。
「腹脳」ともいわれます。
丹田で「そうかそうなのか!!」
と納得すれば、一瞬にして体中の60兆個のすべての細胞にゆきわたり、
からだ中が共鳴して身震いがします!!
「よーし やるぞ!!」という気になります。

■これで、行動することになります。

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