水曜日, 1月 10, 2007

■人はなぜ行動できないのか(3) 人間の構造

jundo/hado/4

■ひきつづき倫理研究所法人局=丸山敏雄全集より
「新しくなるというのは、別のものが加わったのでもなく、もとのまま、本性、本質が
そのまま現れ出たのです。もともと無いものは、顕れようがなく、顕れたものは、
もともとあったものです。」

■エハン・デラヴィの「太陽の暗号」の最後に
「その時まで想像できるかぎりの最悪なシナリオを通りながら、我々はきっと生き抜く
はずだ。我々は謙虚になるまで浄化されるしかない。最後に残るのは、これらすべ
てから解放されて自由になることしか残らない。その自由な存在となったところから
本当の人類は始まるのだろう。」

■これを図解したのが上図です。
人間の構造は、肉体のからだの他に「こころ」と「命=霊性」があります。
こころには「鉱物のこころ、植物のこころ、動物のこころ」「人間のこころ」があります。
その上に「理性のこころ」があります。

もっともっと深いところに「命とも霊性」ともいわれるこころがあります。
霊性は生まれたとき、大いなるいのち(神・仏)からいただいて来ております。
だから、赤ちゃんは純粋なのです。
特に3才までは神様と同じようにみえますが、
親の姿をみて、テレビをみて、世間をみて、だんだんと勉強するほどに
純粋なこころが曇っていくのだそうです。
社会生活をした大人のこころは完全に曇っております。

■その曇ったこころを出来るだけ、生まれたままの「純粋なこころ」に帰ろうというのが
修業なのです。
修業の方法はいろいろあります。瞑想、坐禅、ヨーガ・・・・。
小さな感動の繰り返しだけでもいいという人もおります。

■「純粋なこころ」の「本性、本質」とは「もう一人の自分」ともいいます。
本当の自分探しとはこのことなのですが・・・・。

■曇ったこころを少なくしていくとどうなるのでしょうか、
それは「直感」が働くことです。
いつも思っていると「ハッと」気づくことがあります。
ノーベル賞の学者はほとんどこの直感で核心のヒントを得ているそうです。

感動するだけでもいいのなら、野の花、風、雪・・・・何にでも小さな感動を
繰り返しましょうよ!!

今日は一日、窓の外の吹雪を見ながら「これもきれいなものだなあ!!」と
感動しながら書きました。
書ききった幸せにも感動しております。
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